[[妖人奇人館/殺し屋ダンディ/02]]
 『回想録』によると、この頃、彼はいかさま賭博がばれて、有名な小説家バンジャマン・コンスタンの甥と決闘をしたり、某サロンの貴婦人と熱烈な恋愛をしたりしたそうである。しかし、この一世一代の大恋愛は、当時ヨーロッパ中に猖獗をきわめた悪疫コレラによって、女があっさり死んでしまったので、一巻の終りとなった。この恋人の死で彼は深刻に悩んだらしく、まだ三十そこそこだというのに、髪の毛が真っ白になってしまった。
 シャンゼリゼの男色家アドルフという男と組んで、強請《ゆすり》を専門にはたらいたこともある。つまり、アドんフを囮《おとり》にして、自分は刑事になりすまし、アドルフと寝ている男色家を脅迫するのである。当時は鶏姦罪がまだ生きていた。情事のもつれから、二人の与太者をピストルで射殺したこともある。賭博場における彼のポーカー・フェイスと、悪事を犯す時の彼の冷静な落着きぶりは、伝説的な語り草となっている。
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 一八三四年、ラスネールは、かつて刑務所内で知り合ったシャルドンという男を殺害した。アヴリルという手下の男を連れて、シャルドンのアパートへ乗り込み、馬具商が使う尖った大針を、シャルドンの心臓にぐっさり突き刺したのである。隣室ではシャルドンの母親が寝ていたが、彼女の手にしっかり数珠が握られているのを見ると、ラスネールの心に、故知らぬ憎悪の念がむらむらと湧き起り、彼は眠っている彼女の手から数珠をひったくって、壁に投げつけ、驚いて目をさました老婆の、頭といわず顔といわず、滅多打ちにして打ち殺した。それから、盗んだ毛皮のマントを引っかけて、トルコ風呂へ行き、血の汚染を洗い流して、自宅へもどった。
 これが十二月十四日の犯罪である。この殺人の動機は、ラスネールの詐欺をシャルドンが嗅ぎつけていたので、彼のロを封じてしまうためだった。それから約二週間後の十二月三十一日、彼は贋手形を発行して、マレ銀行の出納係を某所に呼びつけ、金を奪って殺そうとした。しかし、この時は騒がれて犯行は未遂に終り、彼は手下とともに大急ぎでパリを逃げ出して、ディジョンに落ちのび、ここでまた偽名を使って贋手形を発行したところ、ついに露見して逮捕され、ラ・フォルスの監款に送られることになったのである。
 最初、彼は贋手形事件で収監されていたので、殺人事件の容疑者ではなかった。ところが、同時に逮捕された共犯者が、口の軽い男で、ラスネールの名を洩らしてしまったので、ようやく警察は、別件で逮捕された彼の身許を洗い、彼が殺人事件の首魁であることを見破ってしまったのである。ラスネールは監獄付属病院の一室に身柄を移され、供述書を取られ、やがて裁判に廻されることになった。裁判になれば、死刑は確実であろう。

 一八〇〇年、リヨンの近くのフランシユヴィルで生まれた少年ラスネールは、どういうわけか、成り上り老の商人の父から疎んぜられ、里子にやられたという。両親は兄や姉ばかり可愛がっていた。この少年時代の不幸の経験が、後年、彼をして社会や人類や道徳や、ありとあらゆるものを憎悪させる動機になった。これらのことは、ラスネールが死刑になるまで款中で書き綴った、有名な彼の『回想録』に事細かに述べられている。
 中学校でも、彼は教師たちのもてあまし者だったらしい。それでも読書好きで、早くからヴォルテールやディドロなどの啓蒙思想に親しみ、また、こっそり猥本を手に入れたところを見つかって、放校になったりしている。当時出たばかりのサド侯爵の小説なんかも、きっと読んでいたにちがいない。
 青年時代に、ラスネールは偽名を使って軍隊に入り、やがて軍隊を脱走してパリに出、やくざ老仲間と交際をもつようになった。すでにイタリアのヴェロナで殺人を犯したこともあり、たびたび留置所入りをしたこともある彼は、頭もよいし、度胸も十分だったから、たちまちやくざ仲間の親分格になり、マルセル・カルネの映画にあるように、代書屋の看板を出しながらひそかに強盗や窃盗の荒かせぎをした。夜、詩を作る楽しみだけはやめられず、友達の一作家の手引きで、文壇や社交界に顔を出すようにもなった。
 昼間はパリの場末のサン・マルク街で、小汚ない服装をして、寄席芸人や香具師や淫売婦や乞食とつき合っていたラスネールが、夜になると、りゅうとした服装に身をつつみ、髪の毛を波打たせ、細い口髭をぴんと立たせ、愛用のステッキを片手にして、貴婦人たちの群がる社交界や文壇や、さては豪華な賭博場へと出かけて行くのであった。昼と夜の二重生活を、彼はみごとに使い分けていた。


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