砒素が毒物界の王者であるという定説は、十七世紀以来、依然として揺るぎないところであるが、これに次ぐ者として十九世紀間中にぐんぐん力を伸ばしてきたのは、銅塩である。
 当時の小説、バルザックの『従兄ポンス』の中にも、たしか、病人の飲む煎じ薬に、指環をひたして、こっそり、緑青(ろくしょう)を溶かしこみ、徐々に患者を死に至らしめる場面があった。
 有名なG・ブノワの学位論(リヨン、一八八九)から抜いた次の表を見ると、砒素と銅塩と燐を用いた犯罪が依然として他を圧していることがはっきり分る。
 この表は、一八三五年から一八八五年まで、半世紀にわたる期間の毒殺犯罪事件の統計である。
 (使用毒物)      (犯罪件数)
 砒素          八三六
 銅塩          三六九
 燐           三四〇
 硫酸・硝酸・塩酸     九二
 カンタリス        五九
 馬銭子・ストリキニーネ  三二
 阿片・ケシ・モルヒネ   二二
 青酸・青酸カリ       九

 一八四六年十月二九日、フランスで毒物販売を規制する法令が出されるまでは、砒素はきわめて用意に入手可能だったので、一八三二年にコレラがヨーロッパ一円に猛威をふるった際など、集団毒殺ではないかという噂が流れたほどであった。周知のように、砒素の中毒症状はよくコレラと間違えられるのである。
 なぜこんな危険な毒物が野放しに市販されていたのかというと、ガレヌスやディオスコリデスの昔以来、砒素はすぐれた脱毛剤として美容の面に利用されていたのだ。このことについて、ロニェッタ博士は次のように述べている。
 「この粉薬は、現在でも東洋のいたるところで、またパリにおいてさえ使われている。数年前にも、私はナポリのある老婦人から、砒素の幾包みかを送って欲しいと依頼された。この粉薬を使用する際には、唾液と混ぜ、一種の捏粉のようにして、これを脱毛したいと思う場所に貼りつける。数分間そうしておいて、やがて乾いたら木のナイフで剥がすと、きれいに毛が抜け落ちるのだ。」(『砒素中毒の治療法』パリ、一八四〇)
 要するにこれは、現在でもお洒落な御婦人方が腋毛などを除去するために用いている脱毛パックと、同じようなやり方だ。
 そのほか、砒素は普通の化粧水のなかにも、医薬品にも、園芸用や農業用薬剤のなかにも、標本保存用薬液中にも、剥製師用石鹸にも、絵具にも、猫いらずや殺虫剤にも、粗悪な食料品にも、蠟燭(油脂に亜砒酸が混っている)にも、それぞれ微量に含まれている。のみならず、かつてオーストリアでは、雄黄(ゆうおう)と亜砒酸とが麻酔剤として用いられていたことさえあるそうだ。
 これによっても分かる通り、人類はごく最近まで、知らず識らずのうちに、習慣によって平気で毒を体内に摂取していたもののようである。
 ルネ・ファーブル教授の挙げている例によると、一九三一年の十二月に、四名の船員が皮下溢血でル・アーヴル港の病院に収容された。
 これは、食品による中毒か、皮膚に鉄材でも当ったのだろうと考えられた。
 ところが、やがて二つの大汽船会社の乗組員のあいだにも、これが流行り出した。この二つの会社では、葡萄酒以外はどの食品も、それぞれ別のルートから購入していた。そこで、この方面に見当をつけて調べてみると、乗組員の飲んだ酒と違う酒を飲んでいる高級船員のあいだからは、一名の中毒者も出ておらず、また酒を飲まなかった船員たちも、やられていないことが判明した。
 分析の結果、葡萄酒一リットル当り三ミリないし十九ミリグラムの割合で、砒素量が含まれていることが分かった。診断がつくと、ただちにラジオで放送されたが、すでに時遅く、中毒はぐんぐん蔓延した。
 おそらくこの砒素は、葡萄の薬液散布に溶性の砒素を含んだ銅性の液を用いるので、それが発酵中に、葡萄酒の中に入った者らしかった。
 こういう例は、目立った結果にならずとも、他にたくさんあるにちがいない。


#ls2(毒薬の手帖/毒草園から近代化学へ)

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