ローマのバルベリニ宮の画廊にある、グイド・レニの筆によって描かれたベアトリーチェの肖像(現在では、彼女の肖像ではないという説もあるが)をみると、その顔はまるで天使のように愛らしく、とても怖ろしい親殺しの罪を犯した少女とは思われない。スタンダールも、この美しい肖像画にひどく心をそそられて、彼女の物語を書く気になったらしいのだ。

やがてベアトリーチェの犯罪は発覚し、捕えられて牢屋にぶちこまれ、数々の拷問をうける。髪の毛で吊り下げられる残酷な拷問でぁるが、彼女は苦痛に顔色を変えもせず、頑として自白しない。これには裁判官も驚嘆したという。

ベアトリーチェの処刑の日、ローマのサン・タンジエロ橋まえの広場には、大ぜいの見物人が黒山のように集まった。罪人は絶世の美女であり、しかも彼女の犯行には、世間の同情をひくような点が多分にあったからだ。乱暴な父に無理やりはずかしめられた彼女は、不幸な生活にたえきれなくなって、あのように怖ろしい親殺しの罪を犯してしまったのだ。どうして彼女ばかり責められよう?

刑場へ運ばれるまえ、ベアトリーチェは絶望の発作とともに、「ああ、神さま、どうしてわたしはこんなに不幸に死なねばならないのでしょうか」とさけんだが、ひとたび礼拝堂で膝まずいて祈ると、すっかり冷静さをとりもどし、あとは死ぬまで、一度もとり乱したりはしなかった。

当時の処刑具は、斧のついた大きな断頭台で、処刑される者が、板の台の上に馬乗りにまたがるのである。ベアトリーチェは「立ちあがり、祈りをささげ、階段の下に靴をのこし、断頭台にのぼるや、身軽に台にまたがり、首を斧の下にさし出し、死刑執行人から触れられるのを避けようとして、自分から具合のよい姿勢をとった」とスタンダールが書いている。

斧が彼女の繊細な首を断ち切ったとき、この近親相姦の犠牲者、ベアトリーチェはやっと十六歳であった。


#ls2(女のエピソード/ベアトリーチェ・チェンチ)



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